ちょっと長い前置き (西入)
園長の佐藤さんご夫妻を、私たちは「おじちゃん、おばちゃん」と呼びます。20年前、おじちゃん、おばちゃんは、それまでの安定した職をあっさりとやめ、古い民家を借りて無認可保育所を始めました。それがおひさまクラブの誕生でした。
園舎も何もない、ただの民家でした。だから毎日毎日リュックを背負っておでかけ、お散歩。道路いっぱいにチョークで絵を描きました。野原で転げまわりました。
当時を振り返っておばちゃんがボソッと言ったことがあります。「あした、何人のこどもが来てくれるだろうかって、毎晩心配だった・・・」
でも親の方だって心配だったんです。「あしたもおひさまクラブがつぶれずにあるだろうか・・・」
それでも現在の舞田峠の地に土地をお借りすることができ、地域の多くの皆さんの支援を得て園舎が建ち、毎年10名前後の卒園児を送り出してくることができました。
今でもおひさまクラブは貧乏です。でも、この20年間に、お金では買えない人と人とのつながりの輪を幾重にも幾重にも重ねてきました。
初めての卒園児はもう22歳になりました。こどもたち同士は今でも友達です。ときおりフラッとおひさまクラブに顔を出してくれます。
こどもたちと泥まみれで遊んだ親たちも、支え続けてくださった地域の皆さんもずっと友達です。 会えば、時間を越えて話が弾みます。
2002年おひさまクラブはNPO法人になりました。遠足やキャンプなど、おひさまクラブのこどもたちと味わってきたエネルギーに満ちた活動を、いま地域へ広げようとしています。
市民を対象とした”小さな里山遠足”や”小学生キャンプ”も回をかさねるごとに充実してきましたし、 おひさまクラブの大イベント”おひさまバザー”は2004年からNPO事業の一環として行われるようになり、いっそう地域に開かれたものとなりました。
(おひさまバザーの詳細はNPOの会報「おひさま通信」に掲載してあります。)
20年前、「娘がお嫁に行くときまでおひさまクラブが存在していてくれないと困るわ、履歴書に書けなくなっちゃうじゃない。」と言ったお母さんがいました。
大丈夫ですよ、おひさまクラブへお孫さんをどうぞ、お連れください。
というわけで、この20年の間におひさまクラブへかかわってきてくださったみなさんの、おひさまクラブへの思いを募集します。一言でも良いですから、お寄せください。 2005年7月記
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