かなり親の思いだけで、子どもは二年保育で良いと思っていた。
こんな田舎で回りには十分に自然もあるしなあとも。
自由に遊んでほしい、子どものうちは。
子どもが3歳になった時周りの人は幼稚園、保育園に預け始めた。子どもの友達が何人か減った。この頃はまだ皆で遊ぶんではなくて、家族が居れば良い時期でもあった。24時間子どもと一緒に居られることがうれしかった。いろんなことをやってくれ大人では考えられない事の面白さを味わっていた。
おひさまクラブの卒園証書が居間に飾ってある。
「カズタカくんは おひさまクラブで3年間よくあそびました。心も体もうんと大きくなりました。1989年春 おひさまクラブ 佐藤牧雄」
こんな文面でおじちゃん独特の字が並んだものである。一年遅れてイクミのもおんなじ文字とその頃の写真が入っている。
子育て中の親が集まった、おひさまクラブに!!
武石川の水遊び、別所線の運転席、 登山、お餅つき、ひな祭り、こいのぼり、こんな写真と共に、その頃のなつかしい顔が写っている。これが子ども達の原点と言うか親の原点をみるようなおもいがする。
「ああ!この頃は一生懸命だったなあ」子育てと自分育てに!今思えば楽しかった、うれしかった、楽しんだ、喜びだった。
みんな一生懸命だった。何事にも!子育ては自分育ちでもあるって私も教わった。
いろんな人がいろんな想いで関わり合いを持ち関係しながらつかず、離れず、今もその時の子ども達の心配をしながら、良い関係でいられるそんなことが嬉しい。
なんといっても 今もあそこに行けば、はにかんだような、ちょっと恥ずかしいけれど知っている人だしどのように対応しようか、とかわいい目が一杯私にむかってくる。こうなるともうにこにこ!!だから私ときどき顔を出してしまう。
おっちゃんや、おばちゃん、まさ子さん、松本さん、水野さん、健太郎さんと話をしている人はおひさまクラブ関係者だって、安心して関わり合いが持てる人だって、子ども達は皆ちゃんと知っている。
何処にでもいる子なんだけれど、これが1ヶ月もたつと、「おひさまのこ」らしくなってくる、と思う。
子ども達にとってここが良かった!!かどうかは今20歳を過ぎている私の子どもでもわからないが、親としてはおひさまクラブにかかわりあいをもつことができて満足だ。
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