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今月の再会

「おひさま通信」「卒園アルバム」など、おひさまクラブの過去の記事の中から毎月一
篇を選んで掲載していきます。感想などお聞かせいただければ幸いです。

レスリーのカーネーション

 13人の卒園生の皆様、卒園おめでとうございます。今までこのおひさまクラブで毎日たくさん遊んでくれて本当にありがとうございました。
御家族の皆様、数ある幼稚園・保育園の中から、大切なお子さんの為におひさまクラブを選んでいただき、こうして卒園まで共に歩んでいただき、言葉では言い尽くせぬ感謝の気持ちで一杯です。

 もう20年以上前になりますが、レスリーという名の、若いフランス系カナダ人の女性が、おひさまにアルバイトに来てくれていたことがありました。フランス語と英語が母国語で、日本語もとても上手な笑顔のかわいい人でした。
そのレスリーが、5月の母の日の頃、カーネーションを1本持って来て、「これ、プレゼント。マザーズデイだからね。」と言って、私にそれをくれました。私は大喜びでいただいたのですが、実はその時まで「母の日」に対する私の認識は「子どもが自分の母親に感謝の気持ちを表す日」というものだったのです。レスリーは私の子どもではないけれど、その当時2人の息子を持つ母としての私にカーネーションをくれたのです。

 レスリーのプレゼントに、私は喜びと共に、今まで思ってもみなかった世界が心の中に広がるのを感じました。レスリーにとって「母の日」の「母」は、単に自分の母親の事ではなく、広く「母であるもの」を指し、私を含めて「母であるもの」への感謝や祝いがこの日の彼女の気持ちだったのだと思います。
この日私が感じた、何とも言えず心が伸びやかになるような嬉しさを、とうとうレスリーに伝えることはできなかったのですが、今日ここで皆様にお話しすることで、もしかしたら今後の皆様のちょっとしたお役に立てるかもしれないのではないかと、そんな気がいたします。

 「父・母・子」などの言葉は普通名詞ではありますが、血縁家族の中で「○○の父」、「○○の母」、「○○の子」のようにその存在を特定する呼称でもあります。どちらにしても人の存在を根っこの所で支える、懐かしく温かい空気や色合いを持つ大切な言葉です。けれど,これらの言葉には、どうしてもその社会や共同体や文化の持つ価値観がつきまといます。言うなれば「父とはこうあるべきだ」、「母とはこういうものの筈だ」、「子はこうありたい」などなどの価値観です。過去と現在では多少の違いはあるものの、この価値観がその時代の社会を形作る重要なものであることに変わりはありません。

 また、家族の中での人称としての「父、母、子」などは、もっと濃密に自分の存在を名付けてきます。そして、社会の価値観とあいまって、自分なりに、どのような父、どのような母、どのような子であるべきなのか、あるいはありたいのかを日々問われ続ける、なかなかどうして、温かくて重い言葉です。「自分はこういう父でいいのだろうか。」「こういう母でありたいのに、そうなれない。」「こういう子であることを期待されているが、そんなのは嫌だ。」というような思いに苦しんだことのない人はいないのではないでしょうか。

 レスリーのカーネーションは、そういう気圧の高い感情の中に、ポンとプレゼントされたものだったのです。社会が求める「父、母、子」でもなく、家族の中の「父、母、子」でもなく、第三の「父であるもの」「母であるもの」「子であるもの」の存在に気付かせてくれたのです。
おひさまクラブの子どもたちはたくさんの「父であるもの」「母であるもの」「子であるもの」に囲まれているような気がします。

 いろいろな行事やバザーで、たくさんのお父さん方、お母さん方の中で過ごし、転んだ時に助けてもらったり、悪ふざけをして叱られたり。人間だけではありません。お腹に卵をかかえたカナヘビをつかまえ、つかまえたトンボは掌の中で産卵し、カマキリの雄が交尾の後に食べられてしまうのも見ます。また、自らが幼い子でありながら、親と離れてやって来た心細い様子の山羊の子をなでてやり、カメゾーという名の、実はおばあさん亀の身体を洗ってやりもします。

 父、母、子である存在が、1人の子どもの周りにたくさん存在するとともに、1人の子どもの中にも重層的に存在しているのです。そして、その様々な父、母、子と触れ合う時に味わう、驚きや喜びや悲しみや、多くの感情は子どもの中に深く堆積していきます。
子どもや私たち大人を取り囲むたくさんの「父であるもの、母であるもの、子であるもの」に気付いた時、なぜ私が、今まで思ってもみなかった伸びやかな嬉しさを感じたかというと、それはこういうことだと思います。

 様々な「父であるもの、母であるもの、子であるもの」には、私たち人間の価値観や願いや欲などを静かに置き去りにする呑気さがあると思うのです。「父?あっそう。」というような。人間は他の動物と違って「生命を守りたい」という気持ちにつき動かされて、自然ではない行動をすることもあるので、すべてトンボと同じというわけにはいきませんが、トンボの母も、母としての私も、同じ様に「母であるもの」なのだと思うと、少し気が楽になりませんか?

 私たちはいろいろな「父であるもの、母であるもの、子であるもの」に囲まれて、それらと触れ合い、あるいは気付かずにいることも多いのですが、学んだり、助けたり、育てられたり、育てたり、邪魔したり、迷惑をかけられたりしながら毎日生きているのではないでしょうか。そしてそういう中で様々な感情を味わうことが、人生の醍醐味なのかな、と思うのですが、いかがでしょう。
そんなわけで、レスリーのカーネーションが教えてくれたことは、私にとって、人生を支えてくれる大事な知恵となっています。

2017年3月 佐藤佳美

(卒園アルバムより再掲)

 

 
 

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