会報・おひさま通信3号記事

2005年7月発行

特集:おひさまの食卓

 

 

 

○お弁当のある風景 佐藤牧雄


 おひさまの昼食は、それぞれの家庭がこどものために用意したお弁当です。毎朝こどもたちと一緒におひさまにやって来ます。カラになったり、残されたりして、それぞれの家庭に戻っていきます。

 春、暖かくなるとテーブルを園庭に運んでお弁当をひろげます。また、本格的に「おでかけ」が始まるのも暖かくなってからです。たっぷり歩いて野外で食べます。歩きながら見つけた山菜やキノコをその場で調理しておかずに加える事も。風や光のなか、野外でひろげるお弁当も楽しいものですが、お弁当のよさをしみじみ感じるのは冬です。薪ストーブのうえにはミカンがのせられて、ミカンの皮の焦げるにおいがしてきます。ダイコンの煮物、卵焼き、キムチやゼリー、お弁当のなかに詰められたそれぞれの家庭の匂いが室内に満たされ混じりあうのです。不思議な豊かな匂いです。それぞれの家庭そのものが混じりあっているような感覚にとらわれます。

 毎日くりかえされる暮らしの在り方のひとつなのですが、改めてこのテーマに向き合ってみると、日々の暮らしのずっしりとした手応えが、弁当箱に詰められた重みとして実感される気がします。

 私たちの園が、お弁当持参を続けているのは、こどもたちの昼食を家庭に依存しているとも言えます。義務教育や保育園では給食がしっかり根づいています。その意義は様々な言い方(「食育」など)で唱えられていますが、家庭がこどものために弁当を作ることを代行しているサービスと見るのが妥当です。別の見方をすれば家庭からこどもに食べさせることを取り上げている側面があることも否定できません。

 こどもにとって、そして大人にとっても食べることは基本的には家庭に属することではないでしょうか。特に幼いこどもは自分で食を選ぶことはできませんから、基本となる食事は、その子の体調や好み暮らしぶりなどを丸ごと見ている家庭で用意してやるのがいいのではないでしょうか。こどもが過ごす集団においては、楽しく(時におかずをやりとりもして)いただく空間を用意してやるのが大人の仕事だと思います。

 お弁当が基本ですが、時にはみんなで同じ料理で食事をするのも楽しみです。春から秋にかけてのキャンプがその機会です。また、季節ごとに、その季節ならではの食事を「親の会」が用意してくださることも楽しく貴重な体験になっています。先日は「流しソ−メン」と旬の野菜の天麩羅でにぎやかな昼食会となりました。

 幼い人にとって、それぞれの家庭の暮らしを匂いや手触りや味覚で感受していく体験のくりかえしが生きていく力のベースになります。お弁当を携えたこどもは、集団の中の一員であっても野山で冒険していても家庭を携えているのです。

 暮らしの実感を日々伝えるお弁当は、消費社会の中で生きていくこどもたちに、その渦にのみ込まれないためのメッセ−ジを伝えてくれているのだと私は思っています。  

 

 

○シェーンケリーとは?       


「シェーンケリー」ご存知ですか? 昨年度の卒園アルバムのインタビューで、好きなおやつの第1位に輝いた人気メニューで、一部のおかあさん方には「幻の・・・」と噂されているようです。
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 シェーンケリーは揚げ菓子です。私は福音館の月刊誌「母の友」で知りました。見かけはちょっとぶっきらぼうな形で、初めて見る人は「これ何?」と必ず言います。(たしか、「ふともも」の意味だったように記憶しています。)でも食べてみると意外な美味しさで、見かけと味のギャップが大きいのです。揚げ菓子ですがさっぱりした食ベ心地と柔らかい甘さで、いかにも安心なお菓子と言う感じがします。作り方も簡単で、忙しいお母さんがチョイチョイっと家庭で作っていたんだろうと思われます。季節は秋・冬・春先がいいです。暑い時はあんまり食べたくないです。

 私にとっておひさまのおやつは確実な手応えのある「日々の仕事」です。こどもと何をして遊ぶかとか、どう世話するかと同様、その日の天気や気温、こどもの様子、到来物の有る無し等によって良い塩梅に用意するのが腕の見せ所なのです。こういう時だからこういう物が食べたかったんだ、というように感じてもらえるようなおやつを作っていきたいものです。    佐藤佳美